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人間の想念が自然界に及ぼす影響について②

(つづき)
人類に本当に争いの波がなくなり、妬みや怒りや恨みの想いがなくなって、本当に人類の心が調和すれば、動物の世界も調和してしまうし、暴風雨や天変地変もなくなってしまって、完全円満な地上天国が出来上がるわけです。その過程として、嵐のような状態があったり、弱肉強食みたいな状態がある。

だから、一つの神の創造するドラマなんです。そのドラマがすっかり出来上がるまでは、いろんな目で見、耳で聞いて、暴れているなァ、これはおかしいじゃないか、弱肉強食じゃないか、争っているじゃないか、という姿も出て来る。

出てくるけれど、それが神さまのみ心ではなくて、本当のものをつくるために、かきまぜて、調合している。かきまぜている姿が暴風雨だとか、弱肉強食だとか、いろんな形に現われている。

その途中だけをみていると、「神さまはなんでこういうのを作ったんだろうか」、と思うのだけれども、かきまぜている姿なんです。彫刻して観音さまを作るのでも、削っている間は、まだ観音さまは出来上がっていない。

作っている人の中には完成された観音さまの姿がある。けれど製作途中では、まだなんにも出来ていない。「こんな下手くそな」って途中をみたらばそう思います。ところがちゃんと削って出来上がると、「ああ立派だな、素晴らしいな」ということになる。

だけど、それだけではまだ完全ではない。屑(くず)がまだ散っているから、屑をどこかにきれいに片づけて、パッと飾ると、「ああ、すごい観音さま、素晴らしい立派な作品だな」とこういうことになる。

そこまで神界では出来ている。霊界でも出来ている。幽界と肉体界ではまだ出来ていない。それを今度、人類が神のみ心を体して、神のみ心を心としてだんだんつくり上げてゆくわけです。
(つづく)

五井昌久著『質問ありませんか?〈2〉聖ケ丘講話』より