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金星人の在り方③(完)

(つづき)仮にこういう肉体に出ているだけで、仮に目が二つあり、鼻があり、口があって、こういう形に見えているだけなんですよ。実体ではないんです。

仮に現れているだけで、映画の映像と同じですよ。テレビでも、画面に現れてくるでしょ。あれが人間じゃありません。みんな奥にいる。放送局にいるわけです。

今、皆さんここにいるでしょ。同じところにみんな、座っているように見える。しかし、住んでいるところはみんな違うんですね。ここにいるんじゃない。ここに現れているだけなんです。

映画に出ている人間と同じですよ。本当の世界は、本当の自分は、AさんでもBさんでも、みんなここにいるんではなくもっと微妙な波動の中にいるんです。

それを何段階も通して、神界からだんだんに映ってきている。向こうではすでにできてしまっている。だから素直に平和の祈りをしながら、「ああ、消えてゆく姿なんだなぁ」といって、平和の祈りをしていると、向こうの本当の姿がね、スーッと出てくるんですよ、スーッと。

そういう人が多くなれば、スーッと世界平和ができるんです。ところがなかなかそこまで行かないけれども、そうなれば、世界平和ができるに決まっているんです。

とにかく、神のみ心の中に入っている本体の自分がそのままスーッと出てくれば、この世界は平和になるんですよ。

平和になるというよりも、もっと微妙な素晴らしい世界になるに決まっている。

それをやるために、それをはじめにわかった人が一生懸命、「わかるかな、わからないかな」って話をしたり、浄めたり、本を書いたりしているわけです。(おわり)

五井昌久著『永遠のいのち―本当の自分に出合う 聖ケ丘講話 (聖ヶ丘講話)』より