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平和をつくるのは国民だ(前半)

昔は日本一国でも広い感じがしていたが、現在では、まったく地球は狭くなった感じである。

一国の動きはすぐに地球全体にひびくし、一国の運命は、常に地球全体の動きによってどうにでも変わってしまう。今はそういう時代である。

宇宙衛星によるテレビ放送は、同時間の世界の情景がまるで眼の前で行われているように私たちに観察できるので、日本もアメリカもイタリアもフランスもスペインも、どこの国とも距離がなくなってしまいそうである。

こういう現代においては、日本なら日本だけの利益を計って、他国のことは顧みないで済ますわけにはゆかない。日本だけの利益を計るというより、他国の影響があって、日本自体の損得が生じてくるので、他国なしに日本という存在があるという、昔の日本ではあり得ない。

これはどこの国でも同じことであって、地球は一つにつながっていることを如実に感じさせる。

そこで日本の政治でも、常に他国との折り合いを考えてなされているので、他国の感情や利害関係を考えないで政治を行うわけにはゆかない。そこが実に、現在の政治の難しいところである。

民間ではやたらに政府を悪くいって、簡単に反対論の気勢をあげたりしているが、自分が為政者の座につけば、一つの事柄でも、簡単に反対運動をしたり、政府を無能呼ばわりしたりできるものでないことがわかってくるはずである。

対外的には幾種類かの相手があり、国内的にも種々の異論があるからである。なんにしても現代ほど、政治の難しい時代はあるまい。

それにつれても幕末から明治維新の頃の英傑たちが生命を投げ打って、国家のために尽くした素晴らしい働きが想い出される。中でも東京を灰燼かいじんから救った西郷と勝の両英傑が改めて想われる。

あれほどの人物が日本の与野党に存在し、世界の東西両陣営に存在していたら、日本ももっと骨組みのがっちりした逞しい日本になってくるだろうし、世界の政治も、こうも血なまぐさい争いの場ばかりを現出しないでも済むのではないかとも思われるが、いやいや、西郷、勝ではまだ足りない、超々力の人物か、現代科学を超越した大調和科学の出現がなければ世界はもう駄目になりそうなところまで来ているのだと、今更のように想ってみたりするのである。(つづく)

五井昌久著『神への郷愁』より