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それぞれの道を生かす祈りの生き方(後半)

(つづき)常に心の中で神との一体化、神への感謝を祈りつづけることによって、その人の能力が神のみ心に近づいてゆくということになり、常人には思いもかけぬような成績が上がってくるのであります。

祈りというのは、神のみ心に入り切って、神から分かれている自己のいのちを充分に出し切れるよう、心についているもろもろの汚れをはらい浄めてゆくことなのです。

心に業(カルマ)がかぶさっていて、生命本然の力が出てこないのですから、心の業をとることによって、生命本然の神の力が肉体人間の力としても発揮されてゆくわけで、その為には唱え言もするでしょうし、商売の準備や、スポーツの練習に努力精進を重ねてもゆくでしょう。

こう考えてまいりますと、祈りの生活と、競争心ということが調和して、自分の心もすっきりするし、他との摩擦もなくなってくるのであります。

祈り心がなくて、肉体人間としてもっている智慧能力や体力だけでは、誰もが五十歩百歩で他をぬきんでることもできませんし、たとえ、ぬきんでたとしても、他との摩擦によって、他へ何等かの損害を与えてしまう恐れがあるのです。

他人との交渉にしても、あらゆる技術にしても、心にわだかまり、把われがあれば、その力を充分に発揮することはできないのですから、祈り心によって、その把われの原因を守護の神霊方に消して頂きながら、その生活を進めてゆけば、その人はその道で成功することは間違いないのです。(後略)
(おわり)

五井昌久著『真の幸福』より