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言葉・想念・行為に真実の愛を顕すために(後半)

(つづき)愛とは、自分の生命を生かすと同時に、他の生命をも生かすものでなければなりません。

愛することによって、自分の生命が生き生きとし、愛されることによって、その人の生命が生き生きとしてくるものでなければなりません。

自他の生命が生き生きとし合うようでなければ、それは真の愛とはいい得ないのであります。

ところが現実は、愛するという名目の下に、相手を縛り、自己の生命の自由をも縛り付けている恋愛や、親子愛が、いかに多いことでありましょう。

自己が楽しむために人を愛そうとしても、それは愛ではありません。それは自己主義の業想念であります。

宗教者や道徳家が、自分がひとに説法することが楽しみで、人々に道を説き、道を教えたとしても、そこに自己が楽しもうという想念があっては、その人を愛の人ということは出来ません。

自分というものがその人の想いの中にあることは、もうすでにその人を愛から引き離しているのであります。

愛というものには自他がないのであります。自他の生命が融合して一つになった感情なのであります。

自分が喜ぼう、楽しもう、という気持ちが先にたっての行為は、すでにそこに自他の分裂があるので、それは真愛の行為とはいえないのです。

そうしなければいられないのでそうする。しかもその行為が、自他の生命を生き生きとさせ、自由にさせる、というのでなければ、真実の愛とはいえないのです。(おわり)

五井昌久著『愛・平和・祈り』より