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消えてゆく姿の使い方(後半)

(つづき)こうした消えてゆく姿という神さまの赦しの言葉を、愛情も思いやりもなく、他人の病気や不幸に使いますと、まるでその人を責め裁いているようになります。

「おなかが痛いんですって、大丈夫よ、それは消えてゆく姿だもの、大丈夫、大丈夫」というように励ましてくれるのはよいのですが、消えてゆく姿という言葉がかえって、その人の心の弱さを責めているようで、医者に看てもらうのも、なんだか教えに反するような気がしてきたりするものです。

それから又、不幸な状態にあったりした人に、「今のあなたの状態は消えてゆく姿なんだから、負けないでゆくのよ」というように簡単にやられてしまう場合もあります。

その消えてゆく姿だからという言い方には、愛情が感じられないで、通り一辺倒の教えとして、その人の信仰の弱さをなじるようにさえ聞こえてしまうのであります。

消えてゆく姿というのは、あくまで守護の神霊のほうで消してくださることによって、成就することなので、無責任に突っぱなすように言われても、消えてゆく力とはならないのです。言う側の人は、この人が救われますようにという祈り心を籠めて、「消えてゆく姿なのですよ」と聞かせるべきで、教えの通り一辺の言葉として、軽々と言ってしまったのでは、相手にとっては逆効果となってしまうだけなのです。(後略)

五井昌久著『真の幸福』より