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瞬々刻々の魂磨き

体をきれいにするために、お風呂好きの人は毎日入っていますが、身体を流すより魂を洗うほうがもっと大事なのです。

身体の方は、三、四日お風呂に入らなかったりしても大したことはない。けれど魂の方は、毎日磨いていないと、どんどん垢が積もってしまう。

もう私は悟ったからいいなんて、怠けていたら、どんどん積もってしまう。だからつねにつねに瞬々刻々、自分を磨かなければだめなんです。

いっぺん光をみたからいい、とか、いっぺん空のような気持ちになったからいいなんて、とんでもない。瞬々刻々磨くことです。

よく話しますけれど、黒住教の黒住宗忠神人に、私はいつも感心するのです。宗忠は講演会に向かう途中、川にかかった丸木橋を渡ったというんです。そしたら、グラグラッと橋が揺れたというんです。そして、アーっと思ったんですね。それでも落ちないで無事に川を渡った。そして、渡り切ってから河原に土下座して、天照大神にお詫びするんです。

アーっと思って、自分の中の天照大神を驚かし、恐れさせて傷つけた。こんな申し訳ないことはない、とお詫びした。それが自分だけでお詫びするんじゃないんですよ。講演会に来た信者さんに、”自分はまだ至らないもの”と謝ったというんですね。ちょっと驚いたということだけでね。

いい話でしょう。素晴しく偉い人なのに……・。いつも感心するんです。どんな地位が高くなっても、自分の魂が立派になったと思っても、つねに自己反省して、ただ自分の消えてゆく姿のものをつかんじゃいけませんよ。

ああ、これは消えてゆく姿だったな、これは消えてよかったな、これで自分はますます光ってゆく、というふうに、悪いことを虚栄心じゃなくて、ハッキリとつかまないといけない。

ふつう宗教の場合には、光明思想が完全にわかっていなくて、間違っていることがあるんです。いいことばかりつかもうとする。

ところが現象面では、自分の心の中にいい心と悪い心とありますし、この世界には善いことと悪いこととありますから、どうしても両方つかまなければ生きていけないわけです。だからハッキリ両方をつかんでいいんです。

自分の中の悪いもの、人の中の悪いもの、あいつ悪い奴だとみてもいいのです。だけれども、「あの人の悪い想いは、今、現われて消えてゆくんだな、どうぞ守護神さん、早くあの人が立派になりますように」、また自分に対しても同じように、「自分が立派になりますように」と、つねにより立派になり、きれいになることを願いながら、世界平和の祈りで、朝、昼、晩、瞬々刻々、一瞬一瞬を磨きに磨いてゆく。きれいな玉になって、毎日をすがすがしく送る。

自分を磨くことが世界人類のためになるのです。そのように磨きに磨かれた人が多くなればなるほど、自分の肉体を通して大光明波動が、地球、宇宙に拡がっていくわけです。そうすると、悪いことをしようとしても出来なくなるし、戦争をしようという想いもなくなるし、だんだん世界がよくなってゆくのです。

五井昌久著『内なる自分を開く―本心開発メソッド』より