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業の現われへの対処法③

(つづき)一人の人間が業に押しつぶされているとしますね。お前はそうしちゃいけない、そんなことしちゃだめだ、と口で言っても、これは業を叩いているのだから、業はますます頑(かたく)なになって、光、本心を覆ってしまうわけです。

それではいけないから、二人なり三人なりの同志がいて、お互いに知り合いの者が、この業を取るために、こちらから、「神さまお願いします。あの人の天命が完うされますように、どうかあの人が立派な人になりますように」という祈りの心を出すと、祈りは光であり、光は神さまのみ心だから、その人の業をはぐわけです。業を薄めてしまうわけです。

祈る人が二人になり三人になり、このように団体になってくると、大勢の祈りの力が光になって、一人一人の業を消してゆくわけですよ。

だから、言葉でいい悪いといってもだめだ。

そうやって、光を投げかけてあげると、いつの間にか業がはがれてしまって、その人は神さまの軌道に乗れるわけです。

というのは本心が現われるわけですね。そういう生き方を私は教えているわけです。そこが今までの宗教や修養と違うところなんですね。(つづく)

五井昌久著『責めてはいけません-聖ヶ丘講話』より