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知らずして知れりとせるは病なり

知らずして知れりとせるは病(へい)なり

知らずして知れりとせるは病なりの人のほうがこの世にはたくさん存在するわけです。俗にいう、知ったかぶりのことですが、これは一つの病気であり、欠点である、というのであります。

ところがこの世の中では、知らないことでも知ったようなふりをして、得々と演説してまわるような人が、意外に地位や権力や、金力を得てしまうようなことが多く、知ったことでも知らないように、自己を現わさない、いわゆる立派な人のほうが有名にならないでいたりするのです。

政界に乗り出そうとするような人には、知らずして知れり、とする人が多いのでありまして、自分が出さえすれば、必ず政治がよくなるようなことを言う人もずいぶんあります。こういう人は、一つ知っていることを、あたかも十も二十も知っているように話したり、知らぬことでも決して知らぬとは言わずに、知ったような顔をして、うなずいていたりするものです。

見る人から見ればすぐにわかることなのですが、一般の人々は、こういう、いわゆるハッタリの人をやれる人とか、偉い人とか思ってしまって、代議士に選んだりしてしまうのです。

人間というものは面白いもので、自分で知ったような、わかったようなことを言いつづけているうちに、自分自身をも騙(だま)してしまいまして、事実はたいしてわかってもいないのに、もう深くわかってしまったように、自分自身も思い込んでしまうのです。

そうすると、それで自信がつきまして、自分には深い洞察力があり、実行力もある人物であると、自分に信頼感を抱いてくるのです。そう致しますと、その態度に自信からくる落ち着きのようなものが備わってきまして、堂々たる人物らしくなってくるのであります。

ところが真実は、そう智慧も知識もあるわけではなく、自己欺瞞(ぎまん)からきた自信なのですから、ちょっと難しい問題にぶつかってきますと、心が乱れてきまして、その本質がはっきり表面に出てきてしまうのです。

こういうような自己欺瞞と、その時々の運勢に乗って世に出た人たちは、やがては必ず地に落ちる運命になってしまいまして、老後は悲惨な生活になってしまったりするのであります。ですから老子は、知らずして知れりとするは、心の病だ、大きな欠点だというのです。

五井昌久著『老子講義』より