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真の科学的態度をもって生きる(後半)

(つづき)人間や宇宙に対する細かいことは、科学者という特定の人たちの学問研究によって探り当てたところを、話に聞いたり、書物で読んだりして、知ったような気になっている、というに過ぎません。そして、そういう科学者の言うことは相当深いところのことのように思っていますが、実はその学問研究の奥地でさえも、真実の宇宙の相(すがた)、人間の相からすれば、やはり、ほんの浅いところの研究成果でしかないのです。

現在の人間の大半は、人間は肉体にしか存在しないと思っています。しかし実は、人間というものは、肉体の他にも各種の体をまとって生活しているのである、肉体世界という範囲の他に、種々な人間世界が存在するのである、という真理を知らないでいるのです。知らないでいながら、肉体生活のほかに人間など存在するものか、とあたかも知りきっているような口ぶりで言う人もあります。

それから、宇宙の星々のことでも、この五感の眼で見た星というものを実在と見ているのでありますし、地球科学的に種々と研究した結果で、何処何処の星には生物が存在し得るわけがない、というような結論を出したりしているのでありますし、私どものように肉体世界の他の世界のことをはっきり知っていたり、他の星の人類との交流に明け暮れていたりするものからみれば、実に老子のいう、「知らずして知れりとするは病(へい)なり」と思わず言いたくなるのです。

知らないことは知らないのですから、今のところはわからないでよいのです。知るようにわかるように懸命に研究してゆけばよいので、そうすれば自然とはっきりわかってくる道に行き当たってくるのであります。そういう態度を科学的態度というのであります。

上等な科学者は、わからないことははっきりわからないといい、自分たちの研究結果だけで無いとか、存在しないとか断定するようなことはしていません。常に自分たちの研究の上に欠点を見つけ出しそうと苦心を払っているのです。そして、常に先に先にと、その研究の成果を伸ばしてゆこうと努力しています。(おわり)

五井昌久著『老子講義』より