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情と愛を見分ける方法

(前略)一番根本的なことは、その人がどれほど自分自身の我の想いが少なく、神にすべての想念を任せてあるかどうか、ということであります。

愛情は普通は思いやりという形で現わされるのですが、これさえも、相手への執着で現わされる場合だの、自分の心の満足のためになされる場合があるのですから、ますます見分けがむずかしくなるのです。

ですから、この見分け方の一番簡単な方法は、自分の想念をいつでも神さまにおかえししておくことなのであります。

自分の心にどのような感情想念が出てこようと、それが愛のように思えようと、情のように思えようとかまいませんから、守護の神霊を通して、自分の本心、つまり神のみ心に、その想念を一度戻してしまうのです。その方法は世界平和の祈りなのであります。

そう致しますと、本心(神)のほうから、やってよいことならどうしてもその行為を実行させるし、やって悪いことなら、実行させぬようにしてくださるのです。

どうして世界平和の祈りによってそうなるかと申しますと、世界平和の祈りはその祈りそのものが大光明なのであり、慈愛そのものであるからです。

これを云いかえますと、世界平和の祈りは、天の光明を地上に顕現するための、慈愛の光の柱なのであります。

皆さんが世界平和の祈りを致しますと、その人々の業想念はそのままにしていても、慈愛の柱がその人々の業生を貫いて、本心の光と交流してゆくので、その人々の本心の光、つまり愛と真の心が、巧まずに、素直にそのままその人々の行為になって現われてゆくのです。

ですから、世界平和の祈りをすることによって、愛の心が素直に自然に、その人の業生を浄めつつ、相手の業因縁の波を穏やかに融かしてゆくのであります。

そうしておりますと、愛と執着(情)との区別がおのずと判別できるようにもなってゆくのであります。

五井昌久著『宗教問答』より