スポンサーリンク

古い魂の悟り方

(前略)大体、今頃生まれてくる赤ちゃんというのは、魂年齢が高いです。

それはどういうことかというと、今あなた方の肉体がある、その間の何十年という期間は、非常に何といいますか、霊的発達の激しい時だし、地上天国が出来る時なのです。

だから余程、立派な人が揃わないと、地上天国は出来ないわけなのですね。そこで守護神の方では、立派な人を揃えようとしているのですよ。どんどん若い人が立派になってゆくわけなのです。

ところが、立派になってゆく過程としては、どうしても前からの悪い癖、過去世からのいろんな悪い想念行為を身につけています。人間というものは、一旦思ったらそのものがズーッと潜在意識に残りますからね。

どんなつまらない些細なことでも残っているわけなのですね。それは一才から何十才までの間のものが残るのではなくて、一才の前、前生、前々生、過去世というものが残るわけなのですよ。幽体の中にね。一人一人がいろいろな想いを蓄えているわけです。

そこで三十億(講話当時の地球人口)というものが幽体にいろんな想いを貯えているわけです。それがズーッとさかのぼってゆくと、生命がいわゆる本源の世界から生まれて来て、善い光の足跡もあれば、、業想念の蓄積されたものもあって、玉石混交して幽体に溜まっているわけなのです。

そこで、この世に生まれ、ズーッと苦労してきたりして、信仰に入って神さまがわかって、神さま一筋に生きたとしても、すぐパッと偉くなったり、すぐ運命が開いたりするというものではないのです。

開く人もあります。パッと信仰に入り、パッと目が見開いてズーッと開いてゆく人もある。しかし、一年やり二年やり、ある一つの段階にきますと、何かしら消えてゆく姿のようなものが出て来るのです。

それでまた苦しんで、それを抜けてくると、またそういうものが出てくる。また抜けてきてそれから出る。そうやって知らない間に業想念の三界を超えてしまうのです。

パッと悟ったように思うけれども、パッと悟ったのではなく、悟るまでにいろんな魂の経験を経て、それでパッと悟る。頓悟するような状態が出てくる。

魂経験がなくて、パッと悟るということはないのです。(後略)

五井昌久著『責めてはいけません-聖ヶ丘講話』より