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澄みたる心、真我で生きよう


『うつるものおのずうつりておのず消ゆ己れは澄みてただひそかなり』というお歌のみ心について教えていただきたいと思います。


これはどういう歌かというと、私の心境なんです。皆さんもこうなったほうがいい。

というのは、この世に現われてくるものは、みんなうつるだけなんです。

この世は現世(うつしょ)、浮世ともいい、肉体は現身(うつしみ)ともいいます。ただ現われているに過ぎない。

この肉体というものは実在じゃないんです。

実在は何かというと、神のみ心そのもの、神の子である霊、神霊が実在であって、神霊波動がここに現われている。

神霊波動がまっすぐ現われていれば、これは文句なく人間はみんな神の子で立派なんだけれども、神霊波動が神界から肉体界に現われるまでに、波動が随分違ってくる。(本来は)微妙な波動なのに、肉体界でズーッと粗い波動になる。(中略)

本当は人間の本性は完全なんだけれども、この現われの現身の世界では不完全なんです。やがて最後に完全になるけれども、完全に到達するまでは不完全です。

不完全なものは、あくまで不完全だけれども、それは現われてくるだけで、どんどん消えてゆく。

消えてゆくと本質が現われる。(中略)

だから、うつるものは自然の法則でおのずから消えてしまうんです。

うつるものおのずうつりておのず消ゆ、なんです。

本当の自分はただ光り輝いているものなのです。これは私が体験したことです。

うつるものに把われないで、うつらせておけばいい。

病気が出たら病気が出るような原因があったわけ。

前の世と今生の生き方、想い方で病気になってくるんだから、ちゃんと対応処置を取っておきさえすればいいんで、心が怯える必要はない。

心が怯えないためにも、その病気に把われちゃいけないということです。

それがちゃんとわかって悟っている人は把われないんです。

病気とか痛いのは嫌です。だけど、嫌だ嫌だと思わないで、痛いな、嫌だなと思うけれど、それだけなんです。

うつるものはうつるままで去らしてしまう。(中略)

放しさえすればどんどんうつって消えちゃう。

消えるにしたがって本当の自分の真我というものが現われてくる。真我は静かに輝いている。

五井昌久著『空即是色-般若心経の世界』より