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真理の光に照らされた生活④

(つづき)そうした立派な宗教者というのは、何も宗教団体にばかりいるのではなく、実業家にも政治家にも科学者の中にも存在しているのでありますが、表面だって、宗教を口にしたりしない人が多くあるわけです。

主よ主よというものばかりが救われるのではない、とイエスが言っているように、自己の利害のためだけに神仏の名を口にしたところで、それでその人が宗教者というわけではありません。

宗教者というのは、神のみ心を一般人よりも多く現しえている人をいうのであります。

神のみ心とは愛であり、調和であり、真理をこの世に現わそうとしておられるわけで、その道にかなった想念行為の人々が、いわゆる宗教者なのであります。

金銭を得るため、この世の権力を得ようとするため、宗教に名を借りて、行動しているような者は、宗教者の名を恥ずかしめる、愚かなる人というべきです。

神仏の名を呼ぶのももちろんよいが、口に神仏の名を唱えなくとも、その行為に神仏の心を現わしている人は、神の国の住人なのであります。

偽宗教者の多いこの世において、私は広い範囲から、真の宗教者を選び出したいと念願しているのであります。

そのもっとも自然な運動が、世界平和の祈りの運動なのであります。(つづく)

五井昌久著『光明をつかむ』より