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真理の光に照らされた生活⑩

(つづき)一口にしていえば、新聞などでみるだけでもよいのですが、米国が中国に対する考え方、また中国が米国に対する考え方、日本が米国や中国に対する在り方などを、じっと見つめていますと、何か割り切れない、これではいけない、という考えを頭のある人なら誰でも持つと思うのです。

北ベトナム爆撃の問題(注:昭和40年代の法話です)だけでもそうであり、南ベトナムの戦乱状態でもそうでありますが、何か安心していられない危機感というものがあるのです。

そういう感じをごまかさず、しっかりと感じとって、その後の発展と、自己の生活に結びつけて考えてみることが必要なのです。

そういう世界情勢が、自己と無縁のものでないことがはっきりわかってくるのです。それからが大事なのです。

今のままの世界の状態は、やがてはどうしても大きな戦争に発展しないではいない、そういう要素を持っていることは確かです。

米国の飛行機が原爆を積んで、各国の空を飛び歩いていることは事実です。

そういう飛行機が、もし誤って共産圏の国土に落ちたらどうするか、これは空想ではなくて、先頃どこかの海に原水爆を三個だか落として大騒ぎになった事例もあることです。そういう危険は各所にあるわけです。

飛行士の頭が気圧の関係などでおかしくなることも無いとはいえません。そういう誤ちは、すぐにでも世界大戦に結びつくのであります。

世界が原水爆戦争になれば、これはもう地球壊滅までゆくよりどうにも仕方がありません。できる範囲内で世界を平和の方向にむけてゆこうそういう時代が現代なのです。

そこで私は再び申し上げるのです。

一般大衆の個人個人が、自己のできる範囲で、世界情勢を自分たちの真実の幸せの方向にむけてゆく運動をしなければならぬというのです。

真実の自分たちの幸せというのは、自分たちの生命が脅かされず、この世の生活を送り得る状態になるということです。宗教的な深い真理はさておいて、そういうことです。

それにはどうしても世界を戦争状態から解放しなければなりません。

そんなむずかしいことは自分たちにできるものかと思うでしょうが、それができるのです。

ただ、直ぐにできるというものではありません。ひとつの習慣をつけて、その習慣が実行されてゆくことによって、日本がまず守られ、しだいに世界にその影響を及ぼしてゆくのです。

世界平和の祈りがそれなのです。(つづく)

五井昌久著『光明をつかむ』より