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真理の光に照らされた生活⑪(完)

(つづき)世界平和を願わない者は、正常の精神を持った人ならほとんどいないわけなので、世界中が願っていることと思います。そこで、世界中が願っていることを、祈り言葉として、常に心に唱えることにするのです。

この世は皆さんが気づこうと気づくまいと、想念波動によって運営されています。人間の想いの波のまにまに、世界人類の運命は定まってゆくのです。

そういう大事な想念を、皆さんは無意味につかっているのです。無意味というより、悪い方向に誤った方向に用いているのです。

それは想念が運命を創ってゆくということを知らないで、やたらに恐れを抱いたり、貧乏の想いを持ちつづけたり、自分の力を限定したり、人を憎んだり、嫌悪したり、種々と幸福とは反対の方向に向けてしまっているのです。

そういう想念の在り方や、誤った想念の持ち方から起こった運命を消えてゆく姿として、改めて、世界の平和を願う、大光明思想に向きを変えてしまうのであります。

すべては消えてゆく姿なのだと、過去世からの不幸災難や不運や、そして様々な想いを、世界平和の祈りごとに託して、神さまのみ心の中に入れきってしまうのです。

神さまのみ心の中に入れきってしまえば、神のみ心は大調和なのですから、自ずと祈った人の運命も大調和して、幸福が生まれてくるのであり、そうした光明に充ちた想念波動は世界中を経巡って、戦争や不調和の波動を浄める役目をしてくれるのであります。

そうした祈り言を多くの人々が自然に行なってゆけば、世界中の誤った想念波動はそれだけよけい浄まって、戦争や災害の危機が減ってゆくのであります。

私はその真理の易行道を、しきりに説きつづけているのです。

男にも女にも、子供にも老人にも、なんの技巧も工夫もいらずに易しくできる愛国の行為、人類愛の行為が、この消えてゆく姿で世界平和の祈りであるわけです。

つまらぬ人間の虚栄や虚色に充ちた生活から、真理の光に照らされた世界平和の祈りの生活に、一人でも多く、一日でも早く飛び込んでこられるよう、私は祈りつづけているのです。(おわり)

五井昌久著『光明をつかむ』より