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明治維新を顧みて(前半)

近頃テレビなどで、明治天皇という映画をはじめ、種々と維新前後を画いたものが放送されている。

私はこれは非常によい傾向だと思ってみている。

日本は現在、明治維新以上の、大変化の時に立ち至っているのだが、人々は何気なしに日々を過ごしてしまっている。

瞬々刻々として近づいてくる大きな歴史的変化のひびきを、多くの人々は、自己の生活に把われてしまっていて、心を鎮めてきこうとはしていない。

日本は再軍備しなきゃ駄目にきまっている、という人も、日本が軍備をしたら大戦争に巻き込まれる、という人も、少数の人をのぞいては、殆んどが、自己の生活に把われきっている、そのほんの一部の想いとして、時たま言葉にでたりするのであって、そのことについて、深く考えて答を出しているのではない。

こんな時、明治維新をなしとげた偉人傑物、特に西郷南洲や勝海舟のことを思うと、改めて心が感動で震えてくる。

あの時代にもし、天朝側に西郷なく、幕府側に勝なかりせば、英仏をはじめ諸外国の勢力は、天朝側、幕府側と両派に分れて、日本は全く戦火で焼けただれ、その末に外国の欲するままに料理されていたであろう。

西郷の私心無き純粋な愛国心と、勝の幕臣としての自己を超越した日本人としての明智と、国民を戦火からまぬがれさせたいという深い愛情は、日本を大きな戦火から救い、今日の日本を築き上げる土台となったのである。

それには上は明治大帝の叡智と徳川慶喜の時代を見極める眼とその柔順さ、下は坂本、山岡、大久保等々の傑物が、明治の時代には揃っていたことも、日本の今日を生み出した原動力であったのだ。(つづく)

五井昌久著『神への郷愁』より