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把われを解き放て

(前略)人間が常に善き運命の下に、明るく勇気強く生きる為には、神の存在を信じ、神の愛なることを信ずると共に、不幸災難は過去の借財返済であることを確く信じ、それが消え去れば必ず、神の愛、神の力が自己に顕われてくることを信ずることなのです。

自分が悪かった、と思ったら、瞬間的に思うだけでよいので、いつ迄も自分が悪かった、悪かったとくどくど思う必要はありません。

悪かったから出て消えたので、もう誤っていた自己の想念行為(業)は消え去っているのです。

そこで想念を立ち直らせて、神様(守護の神霊)にしっかりつかまり、どうぞ自己の天命を完うせしめ給え、と祈りつつ真っ直ぐに生活をつづけてゆけば、必ずその人には善い運命が開かれるのです。

あまり自分を悪がっていると、勇気が消滅してしまい、折角輝き出そうとしている光明をじめじめと蔽ってしまうことになり、把われの想念になってしまうのです。

善にも悪にも執着してはいけません。

本来は、自己は無いのです。

悪いも善いも、それは、神の真実の姿を、この地上世界に現わそうとする光と影の交差であって、善と把われ、悪と把われるその想念が、生命の流れを阻止し、ためらわせて業となり、神の世界創設を遅れさせてしまうのです。

相対的なこの世界、形の上のこの世界の善悪共にやがては消え去ってゆく姿であり、その消え去った後に、善悪相対を超えた、お互いに善意だけに生きる光の世界、神の世界が現われてくるのです。

そこで私は、極力把われを放つことを人々に教えているのです。(後略)

五井昌久著『霊性の開発』より