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我在るが故にすべて在り④

(つづき)過去世の因縁は、この世で果たすようになっています。

殴ったやつは殴られる、与えたものは与えられる、奪ったものは奪われる、ということは当然なんですね。

だから、例えば今、悪い境遇に置かれて、自分がどんないいことをしても、人に与えても何しても誰にも感謝されないし、ちっとも人が返してくれないということがありますね。

「私はいいことばっかりしているんです。ですけど、ちっともいいことが巡ってこない」、とぼやく。

このぼやくことがもう悪いんですよ、本当は……。

「いいことをしました」、「やりました」なんて思っていることが、そもそもいいことじゃないんだ、本当はね。

そういう風に言うことだけではだめなんですよ。

”自分のやったこと、右の手のしたことを左の手に知らせるな”っていうんだからね、キリストは。

「自分はいいことをしました、こんなにいいことをしていますのに、私はどうして悪い境遇でしょう」なんていう、そういう心根が悪いのだね、第一番にね。

ろくなもんじゃない、そんなもん。

知らずにしなきゃ。

いいことなんか知らないでしているんですよ。

知らないうちにいいことしている。

それで、人がお礼を言って、「あぁ、あなた様にはずいぶんお世話になって……・」、「あぁ、そうでしたか」、それぐらいの奥ゆかしい方がいいんですね。

そしたら知らないうちに良くなる。

いいことをしてもいいことをしても、悪いっていうような運命の場合、その人が「私いいことしてる」って言わなくて、いいことをしている、陰徳を積んでいる。

しかし、いつまでたってもその人の生活環境が悪いって場合がありますね。

そういう場合には、過去世においてその人は、随分……・、まぁね、その……反対のことをしているわけなんですね。

わかりますか。

そのお返しを今しているわけです。

どんなに人の為に尽くしても、なかなかよくならなくても、ぼやくことはない。

今生でよくならなかったら、それこそ霊界へ行って、いーい所へ行きます。

前の悪いこと帳消しにするんだから。

だから、果たすべきものは果たさなきゃならない。

尽くすべきものは尽くさなきゃならない。(つづく)

五井先生のお話し 昭和37年4月