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相依り相教え相拝す(現代に生きる私たちの心構え)

雨舎うしゃよ、我等は人によらず、ただ法によって結ばれている。

我等は共に村邑むらを遊行し、集う時には法を知れる比丘びくしょうじて教を乞い、そのいうところ清浄なれば、共に喜び、その教を行に現わし、彼の比丘もし誤りあれば、我等は法にしたがって教う。

かようにして多くの比丘は教を一つにし、行いを一つにして水乳の和合するが如く和合しているのである。

雨舎よ、私がさきに世尊と等しき比丘なく、依るべき比丘なしというたが、この意味において諸々の比丘は、互いに相依り相教え相拝しているのである。

人に依らしめれば自ずからそこに情が生じて、教に誤りありても、その誤ちに心づかぬようになる。

ひたすら法によりてこそ、威儀を守り、広く学び、友誼ゆうぎを尽し、善を修め、智慧を研することが出来るのである」

五井昌久著『小説 阿難』より