スポンサーリンク

病気について⑦(完)

(つづき)

小児麻痺でも、やっぱりそういう原因もあるんです。親たちが抑えている。それが変に出てきた。そこに迷ったものがついてくる、と言うわけですよ。

小児麻痺になった子どもが悪いわけではなく、親たちの想い方が間違っていたわけです。だから治すにはどうしたらいいかというと、迷っている想いをなくせばいいわけでしょう。

なくすのが祈りなんですよ。我慢している想い、抑圧している想い、そういう想いをなくさなければダメです。

なくすためには、その想いをどこかにやらなければならない。それが消えてゆく姿なんです。

「ああ、こうやって溜まっている不幸や病気や短気も、悪い想いもみんな過去世から我慢に我慢をしていた想いが溜まっているんだから、なくさなければならない。なくすためにはどうやったらいいかといったら、神様の中にやればいい。神様の中といっても神様は見えない。どうやって神様につながろうか」というんで、世界平和の祈りが出来たわけですから、世界平和の祈りをすれば、世界平和というのは神様の望んでいることだから、望んでいることは神のみ心だから、「世界人類が平和でありますように」といって、神様のみ心の中に、自分の想いを全部入れてしまえば、心がキレイになってしまいます。

キレイになってしまうから、病気も治ってしまえば不幸も直ってくる、ということになるんです。

小児麻痺がいくら出ても、ワクチンはお医者さんがくれるから、あとは一生懸命祈るんですよ。迷ってるものを浄めなければいけない。浄めるのに誰が一番いいかといったら、神さまにやってもらうのが一番いい。

病というのは闇だから、光の中に入れればいい。光はどこから来るかというと、救世の大光明から来る。世界平和の祈りの中から来るんですよ。

だから世界平和の祈りの中に入れちゃえば、小児麻痺なんかでも治るんです。

ひまはかかりますよ。かかりますけど、病気になりたてだったらまだ早いです。何年も経つとなかなか治らない。想いが固まっちゃうからね。始まりなら大丈夫なんですよね。

病気だって不幸だって、みんな自分がつくるわけなんだ、本当は。自分がつくるんだけれど、この世だけの自分がつくっているんじゃなくて、前の世、前の世の過去世の自分がつくったわけなんです。

(おわり)

五井昌久著『講話集〈3〉自分も光る人類も光る (講話集 3)』より