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生命の本質に基づいた信念を強化しよう

(前略)

神を離れた肉体頭脳の中でつくりあげた人生観や世界観で、この地球を進化させようとしても、とうてい及ばない時代に今はなってきておりますのに、いまだに地球世界は目覚めずに、神の存在を否定し、人間の能力を信じ切っています。核兵器まで進み、世界を力で抑えてゆこうとしている国々が、想念の力を知りますと、今度はこの想念を、また他国を抑える力として研究しようとしています。

近頃流行している信念の力や、念力の普及の道に人々や国々が真剣になっていった場合、その奥の神のみ心の大調和ということを知らずにいたら、お互いの念力合戦になってしまいます。争いの力となってきます。信念とか念力とかいうと、ちょっと宗教的な言葉のように思えますが、宗教の祈りの心とは全く反対のあり方ですから、その点お気をつけください。

宗教の道は、常に根底に神のみ心があり、人間同士の愛の交流があるのですが、宗教を離れた信念や念力というのは、これが他への影響を考えぬ利己主義的なものでありますと、地球の不調和に拍車をかけることになってくるのです。宗教の道に入りながらでも、自分の利益のためには、神様を自分の法に引き寄せ、自分の望みを叶えてもらおうというのがあります。

本来は、神様のみ心のほうに自分のほうから精進潔斎して昇ってゆくべきなのに、自分の道に神様を引き込もうというのですから、誤った信仰なのですが、意外とこんな信仰の人が多いのです。こういう信仰の人は、信念の力や念力の力の活用に興味をもって、神様を捨ててもそのほうに走ってゆくかも知れないのです。

信念の力や念力の活用も、自分の仕事の能率をあげるためとか、学問の向上のためとかいうように、他人の迷惑にならぬ範疇でやるのなら、別にいけないという理由はなく、かえってその人のすべての成績があがって結構なことなのであります。

人間は信念が強いことがよいことなのでありますから、信念を強めることそのものにはいささかも否定することはありませんが、他との念力競争のようになってくると、神のみ心である調和の精神にもとってくるというのです。

(後略)

五井昌久著『聖なる世界へ』より