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守護霊と俱なる生活を

(前略)

私の一番知ってもらいたいことは、人間一人一人には、必ず守護霊が守っていて、祈れば必ずなんらかの方法でその人の問に答え、あるいは導いてくれるので、その守護霊の注意や指導に素直にしていれば、必ずその人は人間の道を全うするということなのである。

それを信ずることは、神を真実に知る第一歩なのであり、人生を歩む非常な勇気づけになるのである。“れ神とともにあり”、“同行二人”という確信に到達するのである。

「神は形なく姿なきもの」とのみ思っているのは、いまだとらわれである。神は本来形なく、姿なき生命の原理ではあるが、その働きは時に人格神ともなり、形ある人間としてわれわれの前に出現することもあるので、その点、守護霊・守護神の存在を堅く信じて、常に守護霊・守護神に感謝していれば、その場その時に応じて、神の愛は、種々の人間や事物に託して、その人を援助せしめるものである。

信仰は一つのものや、形に捉われたら執着になる。悟ろう悟ろうとして、肉体を傷つけ苦しませて邪魔者扱いにしている人々があるが、私は、それはかえって肉体に捉われているものであると思う。肉体もやはり神の生命が必要あって存在せしめているものである。肉体の世界に住む以上、肉体も大事に丁重に扱うべきである。

肉体生活を損ぜず、傷つけず、肉体生活の喜びを味わいながら、心が乱れぬ人間にならなければ、肉体世界における宗教の意義は非常に薄れる。肉体世界を蔑視べっしする宗教や信仰は、この現界を救うことは出来ない。

肉体生活をそのままに、心が安心立命してゆくためには、自己が真・善・美の想念と行動をしながら、守護霊・守護神への祈りを、毎日欠かさぬようにしてもらいたいと望んでる。それが神が一体の境地に入る一番の早道であると思う(後略)

五井昌久著『神と人間』より