スポンサーリンク

不幸を契機に運命を開く①

ただいまの高橋君(※文末に紹介文あり)は、いつも私のそばにいますから、私の倅みたいなんですね。いつも一緒に歩いているので、たまたま一緒でない時がありますと、近所の人が、「先生、今日は息子さんをお連れになりませんね」というくらい、息子のようになっているんです。

この子は非常に純真な子なんですよ。もう大きくなったけど、子供ですよね。この子に初めて会いました時、私は、「これは困った」と思ったんです。なぜ困ったかというと、運命が非常に難関にぶつかることがわかっているからです。

初めギョッときて、だんだん高橋君が熱心になるに連れて、ますますギョッとして来たんです。「これは全部責任を負わなきゃならない」と思ってね。死ぬか生きるかの病気なんですから……。もしかすると死ぬかも知れないわけです。線が分かれていまして、片方へ行けば、少しでも信仰がゆるむと逝っちゃうという形なんです。それで、じーっと見ていたわけなんです。

そのうちに、この子と松浦さんが二人で、『白光(※現在の白光誌)』を出し始めたんです。私のやり方は、自分の我で、自分の頭で、これやろうあれやろう、ということは一切思わないんです。自然法爾、なるがままに任せて生きてゆくと、そういう生活なんです。

ですから『白光』を出すんでも、『白光』を自分で出そうとか、出すまいとかは思わないんです。自然に任せてあるんです。そうすると自然に出てくるわけです。

『白光』は初め文芸雑誌でした。第三号目の時に、「先生、何か文章を書いてくれませんか」ということで、第三号からがらりと変わっちゃって、今の『白光』が生まれまして、それからだんだんだんだん進歩してきたんです。

だから白光を出したのは、高橋君の殊勲なんですね。あれは非常にいい雑誌になりまして、今は皆さん、ずいぶん読んでいらっしゃる。

その頃から高橋君は病弱でして、だんだんだんだんやせ衰えてくるわけです。ご飯も食べられなくなってくる。「困ったなあ」と私は思いました。運命がまだ決まってないんですから。修正しつつあるけれども決まっていない。そして、だんだんだんだん最後の極点に来まして、そのうちに寝込んでしまい、ついに家に帰ってしまったんです。

(つづく)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より

※ 高橋君 = 高橋英雄さん(元白光編集長、元白光真宏会副理事長)