スポンサーリンク

不幸を契機に運命を開く⑨

(つづき)

私がもし、神さまというものを知らないで、信仰生活に入らなければ、私はおそらく共産党員ですよ。中央執行委員くらいになってますよ(笑)。

昔、工場にいて、文化運動をやって、音楽を教えたり、文芸のことを教えたり、いろんな活動をやったんです。その頃はとにかく、青年がみーんな集まった。少年工や女工さんなどを救わなきゃいられなかった。かばわなきゃいられないという気があった。だから組長と喧嘩したり、課長と喧嘩したりしながら、女の子や少年たちを守っていたんです。いつでも矢面に立って守っていた。工場では、少年保護員というような看板でやってました。そういうことをしなきゃいられないんですね。

だから、青年の頃から社会事業をやろうと思っていたんです。宗教がなければ、おそらく共産党や社会党のような、直接運動、直接的に人を救う、社会を改革するような運動に入っていたと思うんです。

そういうのが今でも私の中に残っていて、どうしても観念論的に道を説いているだけじゃいられないんです。観念的に「こうすればいいんだよ」とか、「この道を通ればいいんだ、それがわからない人は救われないでもいい」ということを言う気にはならない。

どうしてもみんなを救いたい。人類全部を救いたいような気があるんです。だから実践運動なんだね。私は実践運動家なんです。この現象の世界を救わなきゃだめだと思ってね。そのようにして、神さまに願っていたわけです。それで今のようになったんです。

今、どうやってるかというと、一人一人会っている。この前も言ったように、私はどんなに忙しくなっても、どんな大きな仕事をしても、こうやって一人一人に会って、一人一人浄めて、出来る限りのことをしようと思ってるんです。寝る間も寝ないでもいいから、一人一人にぶつかって、それで救いたい気がするんです。嫌でもそれより仕方がないんですよ。他のことは考えられないんです。

(つづく)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より