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不幸を契機に運命を開く⑩

(つづき)

一人一人が可愛くて可愛くて、しょうがないんです。頭のはげたおじいさん、白髪ばかりのおじいさんから、みんな可愛いんですよ。なんだか自分の子供のような気がするんです。

私はこの世の齢(よわい)は、かぞえで43歳、満で41歳だけど、いつの間にか、その歳を忘れてしまって、80歳の人も85歳の人も子供みたいなんです。松浦のおばあちゃんなんか「先生」って、私を見るとかじりついて泣いちゃうんです。金子さんのおばあちゃんでも、私にかじりついて泣かれちゃうんです。

それで私は、可愛い可愛いとなでてあげるんですよ。幼稚園の生徒ですよ。とっても可愛いんです。なぜ可愛いかというと、神さまの気持ちがここ(胸)に入っているからです。神さまから見れば、みんな分霊だから子供でしょ。だから叱る気がしないんですよ。

肉体に生まれている者は、だいたいが修行に来ているんです。菩薩として来ている人もありますが、しかしだいたい修行に来ている。修行しているうちに菩薩になったりすることもあるんですね。

修行に来ているんだから、どこかに落ち度があるに決まってるんです。肉体の人間が完全円満であるわけがないんです。肉体の人間はさっき言ったように、どこか抜けていたり、穴があいているんです。その抜けているのを補うために、守護霊や守護神がいるんです。

肉体の人間は完全じゃないんです。その内なる神性、完全性を現わすために、守護霊守護神がいて、あるいは菩薩の人がいて、救ってゆくんです。

それで私たちは菩薩行をしているんです。私ばかりじゃありません。幹部になったような人は、みんな菩薩行してるんです。

そして、だんだん皆さんが菩薩行をするわけです。

ここにいる人はみんな菩薩行している人です。

その一番やさしい菩薩行が「世界平和の祈り」なんです。

そうすると実証が現われてくるんです。

(つづく)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より