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消えてゆく姿とは”観の転換”

(前略)

”あやまちを悔ゆるはよけれ悔いのみに生くるいのちは愚かしきもの”という歌がありますが、過ちにしても、それをいつまでもいつまでも、ゴチャゴチャ言ってないで、やっちゃったら、「ああいけない!」、もう二度と再びしまい、世界人類が平和でありますようにと、世界平和の祈りの中、五井先生の中に入ってゆくと業が消える。

そうすると、その時は本体の中に入ってるんです。「神さま!」と思う時には、自分の本体の中へ入っているんです。「五井先生!」と思う時には、如来さまの中へ入っているんです。

だから難しいことじゃないんです。やさしいことなんですよ。

それが癖があって、なんだか反省しなきゃあいけない、と言うんですね。しかし、反省をした時にはパッと変わるんです。パッと転換するんです。それを私は教えてるんです。

それが消えてゆく姿なんです。パッパッと転換することを教えているのが消えてゆく姿なんですよ。いつまでもいつまでもしつこく、「私が悪い私が悪い」とやってるのはいけないんです。それは業の中に入っている。私が悪いといつまでも言ってるときは、神さまから離れている時なんですよ。

「私が悪い」と思ったら、思った瞬間には、もういいほうに入っている。「ああいけないことをしたな」と言う時には、もういいところに入っている。反省した時にはもう、神さまの中に入ってるんだから、いけないいけないと思うことはいらないんです。

(後略)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より