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すべては人を救うための魂の経験①

皆さんがこの統一会に来ている場合に、先祖や親類縁者の亡くなった人たちが救ってもらいたくて頼ってくることが随分あるんです。

その時に、Aさん(※ 迷っている魂)がここに来れば、その人は一つも苦しまなくて済んでしまうんです。ところがそうではなくて、一応知り合いのところにとどまって、それからこちらへ来るようになっている。やはり縁がないと、私に直接来られない(中略)んです。

だから誰か私のところに来ている人に触れてくるわけです。触れられた人がその時、少しお腹が痛くなったり、頭が痛くなったりする場合があるんです。

私のところに来て、スッと治ってしまう場合もあるし、しばらくとどまっている場合もあるんです。「二、三ヶ月もとどまらないで、スッとこっち(※ 迷いから醒めた世界、霊界)に来ちゃった方がいいじゃないか」と思うんだけれど、そうはならない場合があるんです。

どうしてかというと、魂の錬磨をするわけなのね。

マラソンとか競泳とかする場合に練習しますね。それと同じように、練習してるうちに魂の力が出てくるわけなんです。なんにもしないで、やすやすと救われちゃうと魂の力が付かない。

人を救うことの練習が足りない、経験がないからです。するといつまで経っても、人を救うような立場にならないんです。

そこで、やはり一応は自分が受け止めて、自分の魂で出来る限りをやるわけです。それで、「これは無理だなぁ」と守護霊さんが思うと、私のほうにパッと寄越してしまうんです。

そうすると、私が引き受けちゃう。それまでは自分でやらなきゃならない。(つづく)

五井昌久著『講話集〈5〉いい時に生まれた (講話集 5)』より