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体得・体感・体験した真理こそ本物(前半)

(前略)日本のある有名な博士がいました。学問の深い人で、非常にもののわかった哲学者で、哲学界では相当な人です。

その人は、茶碗がここにあると、これは寂滅の世界から来ているのか、寂滅が茶碗を生むのか、茶碗が寂滅を生むのかとか、見るものと見られるものとがどうのこうの、というように、種々と哲学的に説くのですが、それが、常に現われの自己の頭脳智で説いているだけで、本当のことがわかってないから、グルグル茶碗の周りをまわっている。真理の周りをまわっているだけなのです。

ですから、未だに悟ってはいません。あちらの世界へ行っていらっしゃるのに悟っていない。相当に有名な学者でも悟っている人は少ないです。

実際に行なっている(※真理を行じている)お百姓のおじいさんおばあさんのほうが悟って、学問的に深いように説いている坊さんや学者という方々が悟っていないのです。

頭でわかったような気がしている。そこから先に進もうとしない。飛び込んでゆかない。本当に霊界や神界がわかった人の話を聞かない。ただわかったような気がしているだけなのです。そういう人は、死んでからあわてるんです。

だから、うちあたりへ来ていらっしゃるお坊さんとか神官の方などは偉いのです。みんな、「自分はここまで来た、これ以上は本当に体験した人に教わろう」というような謙虚な気持ちで来ているでしょう。

ですから、そういう方々はグングン伸びていきます。今までの学問に付け加えて本当のことがわかるわけです。(つづく)

五井昌久著『空即是色-般若心経の世界』より