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体得・体感・体験した真理こそ本物(後半)

(つづき)学問の文字から受けただけのものでもって人に説くのは、あまり感心したことではありません。小智才覚になってしまう。それそのものが空を知らないことなのです。

学問で有名だから、その人は偉いのではないのです。たくさん本をあらわしているから偉いのでもない。内容が問題なのです。

本当にわかった人の書いたものと、わからない人の書いたものとでは全然違います。老子の本でも、ずいぶん色々な本が出ています。

この間も手紙が来ていました。「自分はもう宗教を何十年もやり、老子もいろんな講義で学んでいる。しかし、みんな註釈文のようで胸を打たなかった。ところが五井先生の書いた『老子講義』を読んだら、ピシッと胸を打たれて、本当にこの人はわかっているな、ということがよくわかった。有難い」という手紙が来ています。そういう手紙がチョイチョイ来ます。

相当やった人がみんなわかる。

なぜわかるのかというと、私が神界や霊界を知っています。その知ったことをそのまま説くのだから、わかるわけです。

赤を見せて、これが赤ですよといえば、みんな赤だとわかります。それを、紫を持ってきて、赤ですよ赤ですよと言ったって、紫に見えるけど、おれの目の錯覚だろうか、と思って本当に信じませんね。

そういうもので、本当のことを言えば、胸にピンと響くのです。ですから、神界なら神界、霊界なら霊界を、本当にわかった人が説く事が、本当の教えであって、神のみ心がわからない人が説いたのでは、かえって道を外させてしまうことになります。(後略)

五井昌久著『空即是色-般若心経の世界』より