五井先生に学ぶ

今改めて学ぶ『人間と真実の生き方』

人間と真実の生き方について①

投稿日:2017年9月6日(水)

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人間と真実の生き方

人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。

この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。

いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである。

 

五井先生の教えの根幹

五井先生の教えの根幹は、『人間と真実の生き方』の冒頭にある、「人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである」という箇所に尽きます。

苦悩多き時間を長く過ごしてきた人が、この『人間と真実の生き方』に触れれば、消えてゆく姿の部分に光明を見いだすかも知れませんし、困難を乗り越える勇気を持てずにいる人がいたなら、「強い信念と善念を起し」の部分に前向きな希望を見いだすかも知れません。

また、地球世界の不調和に憂いを感じている人は、世界平和の祈りに完全調和への道を見いだすかも知れませんし、魂の救われを求める人は、守護霊・守護神の加護に希望を見つけて、ひたすらなる感謝行の道に入るかも知れません。

そのように、冒頭の『人間と真実の生き方』に触れて何を強く感じるかは、人によって様々なものがありますが、地球世界全体を平和に導くことも、個人が真の救われを得ることも、未だ人間の神性を当然認識として想い得ない場合にあっては、「人間は神の分かれであり、神そのものでさえある」という、真実の人間観が根底になければ、何ごとも思い通りに進まないことは明白であります。

なぜならば、この世のなかのすべての苦悩は、他の星から地球に人類が転生し降り立って、しばらくした頃より生じた「人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿」であるからであります。

これらの真理を心の底から腑に落とし、真実に自己のものとして、自分みずからが神そのものの想念を発し、神そのものの言葉を語り、神そのものの行いをなし得る人が増えてゆかなければ、地球世界に真の平和は成立しません。

そのことは、昨今の北朝鮮をめぐる関係各国の動きと、利害関係にある人類ひとりひとりの心の動きを観ればよくわかります。

世界平和の祈りが宣布されてから、もうすでに50年以上も立っているにもかかわらず、未だ人類の心の多くが、世界情勢という外的要因に自己の幸不幸を左右されて(いるように感じていて)、対立の想いを深めたり、不安恐怖の想いに右往左往しています。

それらの状況をよくよく観れば、そうある根本的要因が人類の人間観、引いては生命観(神観)が確立されておらず、真理そのものの記憶として思い出されていないことによることは明らかであります。

だからこそ、「人間は本来、神の分霊であって、業生ではない」という、真実の人間観、真理の生命観(神観)が、広く人々の間に普及されることが重要なのであり、そのためにはまず、神仏の存在を信ずる心を持った人々が結集して、みずからの神性を発揮すると共に、世界人類の神性を祈り出すことが肝要なのであります。(つづく)

 

 

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