五井先生に学ぶ

今改めて学ぶ『人間と真実の生き方』

本心と業想念の截然とした識別が出来るようになると、他者批判癖は自然と消え去る(前半)

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他者批判の原因とその状況

宗教信仰者が本心と業想念の判別が出来ない場合には、往々にして他者批判に走る傾向があるようです。

そのような精神状態というのは、私も体験してきた状態なので手に取るようにわかります。

五井先生は『人間と真実の生き方』のなかで、ハッキリと説いておられます。

「この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念の消えてゆく姿である」と。

この箇所を他人(ひと)ごととして読むと、五井先生の神(真)意、苦悩の根本原因を見誤ってしまいます。

この箇所に述べられているすべての苦悩とは、その苦悩を感じている当人の過去世から現在にいたる誤てる想念であるということでありまして、他人は一切関係ないのであります。

同じ人間を見て、ある人は不愉快な感情想念をもよおしたとしても、別のある人はなんの悪感情ももよおさない、などということがありますが、そのようなことなどは、この世に感じる苦悩の原因が、それを感じる当人のなかにあることのよい実例であります。

真理からすれば、他者に対して持続的にネチネチネバネバと、不愉快や怒り、妬みや憎しみなどの感情が湧き上がりつづけて止まない場合などには、間違いなく自分の内面(過去世から現在にいたる浄まり切っていない想念)に原因があるのです。

他人とは、それをわざわざ映し出し見せてくれている【鏡の働きをしてくれる存在】以外の何ものでもありません。

他人が悪いから自分の心が乱れているのではないのです。

自分のなかに潜んでいた消えてゆく姿を、他人に映し見たことで、隠れていた業想念感情が疼いているだけなのです。

言葉を変えればそれは、その他者のおかげで、今まで気づけなかったみずからの消えてゆく姿に、その時ようやく気がつけたということです。

ですので、感情の疼きを感じた相手に対しては、感謝しこそすれ、さらなるカルマを積み重ねる必要などは毛頭ないわけなのであります。

そしてここが大事なところですが、「ああ、これが消えてゆく姿だったのだなあ」と気がつくためには、業想念の渦中を離れた本心領域の意識に、自己の心を置いている必要があるのです。

なぜそうある必要があるかと申しますと、本心の側に意識が入っていないと、感じた想いを冷静に観ることが出来ず、冷静に観ることが出来ないがゆえに、消えてゆく姿と認識することも出来ず、結果として感じた想いを消えてゆく姿に出来ないばかりか、新たな業因を積み重ねて、未来に禍根の種を蒔き、さらなる運命の悪化を招いてしまうことになってしまうのであります。(つづく)

 

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