五井先生に学ぶ

今改めて学ぶ『人間と真実の生き方』

五井先生の教えを実践する基本認識(前半)

投稿日:2017年10月9日(月)

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五井先生の教えを実践する基本

五井先生の教えを実践する基本は、何度か書いておりますように、自己の脳裏をよぎり、また、声に現す言葉・想念が、人間の本質である神性意識に端を発して現れ出たものか、本質を忘れた業想念に起因する言葉・想念なのかを、ハッキリと識別して截然と認識するところにあります。

この本心と業想念の截然たる識別認識がなければ、どんなに『消えてゆく姿で世界平和の祈り』を繰り返してみても、なかなか意識進化を実感出来ないものです。

いろいろな方の信仰と信行のあり方を観ていて、「自分がなかなか変われない」と嘆かれる方は、この基本認識の習得段階を飛ばしながら次の段階を目指している風に見受けられます。

そのような場合にはともすると、自己の信仰と信行の向かう角度が誤てるがゆえにそうなっていることを、教えそのものや白光や先生方のせいにしてしまい、残念ながら離れゆくケースが多いようです。

なぜ自分の言葉・想念に対して、本心か業想念かの見分けが出来るようになることが基本認識(初歩の初歩、初めの一歩)なのかと申しますと、自己の言葉・想念が、本心から来るものか業想念から来るものかを識別出来ない人は、他者に対してもそれが出来ず、自分の真実もわからないうえに人の真実もわからず、それゆえに神の生命エネルギーを誤用して、苦悩の雷を自家発電し、運命の暴風雨にみずからをさらすことになるからであります。(これは私たちが過去に経験してきたことでもあります)

では、どうすれば自分の本心と業想念の識別が出来るようになるかといいますと、これは教義『人間と真実の生き方』の前半にある宣言箇所を、五井先生のお言葉としてではなく、自分の内奥から湧き溢れ出る真理の言葉になるまで、声に出して読み、何度も紙に書き写すことです。

『人間と真実の生き方』の』前半宣言箇所

人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。

この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。

それと同時に、五井先生の詩『本心』を何度も声に出して読み、紙に書き写し、文字を見ずして全文暗誦出来るようになることです。

本 心

地球の未来を輝かせる為に
人々が是非共知らなければならぬ事がある

それは御身たちの真実が
御身たちの本心が
肉体生活にまつはる
欲望と恐怖とそして悲哀と憎悪と云ふ
黒い翼におおはれてゐると云ふ事である

それよりもまた一層深く知らねばならない事は
御身たちの本心は
御身たちの真実は
宇宙を動かしてゐる大いなる智慧
無比絶対なるエネルギーの源泉に
其の基を置いてゐると云ふ事である

御身たちの本心は常に神と一つであり
御身たちの真実は神から発する光であり
そして御身たちはかつては
本心そのものであつたと云ふ事である

欲望 恐怖 悲哀 憎悪
さうした業生カルマの想念は
御身たちが神の光の世界から
肉体と云ふ形の世界に自己限定した時から起つたもの

現はれては消え去る大海の泡沫
夢幻が画く一夜の劇

人類が争つてゐるのではない
人間たちが迷つてゐるのではない

争つてゐる想ひが
迷つてゐる想ひが
今消え去らうとして
人類の前を本心の前を通り過ぎてゆくところなのだ

御身たちは只黙つて御身たちの本心が
神と座を一つにしてゐる事を想つてゐるがよい
光り輝く神と本心とをみつめつづけるがよい

心を落ちつけ
想ひを静め
只々神の光明を観じてゐるがよい

さうしてゐる時が一番
様々な業生カルマ想念おもひ
消え去り易い時なのだ

御身たちよ
消え去る業生カルマとどめる事はない
夢幻の苦痛を想ひかへす事はない

御身たちが止めさへしなければ
想ひかへしさへしなければ
業生カルマは再び御身たちの下に戻つてくる事はない

御身たちは今
本心そのものである
神の大光明と全く一つのものである
地球の未来を光一色で画き出す者である

五井昌久著『白光への道』より

(つづく)

 

 

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