五井先生に学ぶ

今改めて学ぶ『人間と真実の生き方』

五井先生の教えを実践する基本認識(後半)

投稿日:2017年10月10日(火)

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(つづき)

肉眼に見える肉体人間に対する見方が変わるときが来る

そこまでやりますと『人間と真実の生き方』や『本心』の詩が、自分とは別人の肉体人間として地上にあった五井昌久という人の筆による言葉としてではなく、表層意識の深奥に在る自己の本心、神性意識から湧き溢れ出る言葉と認識出来るようになって、結果としてみずからがみずからを救うことになってゆくのであります。

また、そこまでやって初めてわかることは、人間というのは、今ここにこうして離れて存在する個別の存在のように肉体の頭で思えても、真実の人間というものは、実は、いのちの光(各人を肉体にとどめる生命エネルギー)においてまったくひとつに結ばれている大いなる生命の流れ(宇宙に遍満する創造原理に帰一する存在)だということです。

そうなりますと五井先生という存在も、昭和の時代に個別に存在していた肉体人間としてではなく、人間が本来持ついのちの光を先に顕し見せてくださったいのちの先達として認識出来るようになり、自己の魂の奥に、いのちの光の五井先生をハッキリと認めることが出来るようになります。

さらにそうなりますと、自己の本質はもちろん、他者の本質も皆すべて、神の光の分光(太陽光線の一筋一筋)のように認識出来るようになり、自他の業想念行為にとらわれ、いちいち批判・非難・評価して心をかき乱していたのが、遠い過去世の出来事のように懐かしまれるのです。

人間の真実を見抜く眼(霊眼)を持てば不和感情想念を超越できる

過去の私たちは、人間というものを不完全な存在だと認めていたからこそ、他者との間に軋轢を感じていたのであり、神の分霊を見ながら「気にくわないやつ」などと勝手にレッテルを貼ることでみずから敵を造り、防御及び攻撃性の想念を鎧や武器のように身に付け、みずから(業想念の想い)を守ることに汲々としていたのでありました。

そういえばその点に関連したことで、故瀬木元理事長はこのようにおっしゃっておられました。

とかく一般の人間は、他に対抗的になり競争意識などを持つようになると、自分の方が良いとか正しいとかを立証しようとして、他の悪口をいう弱点を持っています。

そこで私共がそうならぬ為の一つの工夫は、自分で自分の持ち味をはっきりと認識するよう努める事です。

人間には必ず、その人でなければ出来ないという特色や、役目があるものです。

それが持ち味であり、個性であり、天命であり、色であります。

ですから各々が、それぞれの持ち味、天命を生かしながら仕事を分担して、祈り心でこの運動を推進してゆけば、自然と他を嫉妬したり、競争的になる事なども少なくなり、更に又悪口をいう機会などもかなり少なくなり得ると思うのであります。

昭和53年12月号白光誌より

このように、自分で自分の持ち味をハッキリと認識するためにも、自己の本心と業想念の識別認識は欠かせないものであります。

集会に行っては心を曇らせたり、富士聖地から自宅へ帰ってくるといつものように不完全的業想念人間になってしまうというような場合には、本心と業想念の識別に重きをおいて、自己の言葉・想念をジーッと観察することがよいと思います。

そこから先にどうすればよいかは、それぞれの守護霊さまが、第一直観、または誰かの言葉をとおして教えてくださるでありましょう。(おわり)

 

 

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