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政治家よ襟を正せ

嘘を平気でいえなければ、政治家にはなれぬ、というのが、一般国民の常識になってしまっていることは、なんといっても、日本の政治のために哀しむべきことだ。といって、この常識をくつがえせる程の政治家が、まだ出てきていないのだから、こういわれても止むを得ない今日の状態である。

こういう国民常識を手はじめとして、先ず議員の選挙の方法や、その状態を第一に改めなければなるまい。違反行為をしなければ、よほど実力のある人や有名な人以外は、とても当選しないような今日の状態の選挙方法では、違反をしないで出る方が無理というものである。

まして、名もない新人など、いくら人物が立派であろうと有能であろうと、最大限に自己宣伝をしなければ、一回五分位のテレビ放送での、規定の金額での静かな宣伝だけで、どうして当選することができよう。一万票も集めるのにそれこそ精一杯である。

だからどんなことをしてでも、票集めに奔走する。自然勇み足になって、選挙違反をやむなくやってしまう。

心正しい有能な人は、自分が政界に出れば、これこれこうして、という深い智慧があっても、そんな方法で自己宣伝をしてまで出馬することなぞ、良心的にもプライドの上でも、とても出来っこない。

そこで、人格高潔な有能な人は政治家にはなれぬことになってしまう。国家的大損失というべきなのである。

一体、政府の選挙法や選挙体制を考え出す人々は、自分たちだけでも、違反行為を絶対にしないで済むと思っているのであろうか。時折り、政府のお偉方でさえ、違反行為で取調べを受けたりしている程だから、一般の候補者が違反しないで選挙にのぞむことの無理であることが、はじめからわかっているのではないだろうか。

違反の摘発を受けたものが運が悪いのだ、で済ましていられたのでは、国民の方がやりきれない気持だ。何故こんな政治家となる第一歩のところから、嘘をつかせなければならぬような政治体制にしておくのか。

こんな体制に政治のはじめの段階でしておいて、嘘をつかぬ政治をしようというのが土台無理な話である。何かもっとすっきりと誰でもが、実際にお金を使わず、違反なしで議員になれる方法を考え出してもらいたいものである。これが政治家は嘘つきではない、という印象を国民に与える出発点なのである。

その次には大臣諸公が、首相をはじめとして、自己の椅子に恋々としない、すっきりとした心で、私心を公の仕事に捨てきった態度で政務にたずさわって頂くことである。

そういう政治家が揃ったら、国民の品位も自ずと立派になってゆくのであろう。国民と政治家が、お互いにプラスし合うようになることは、別に夢ではないのである。先ず、国民より少しは兄であるべき政治家のほうから、自己の心を正しく立派にしてゆくべきなのである。

五井昌久著『行雲流水』より