著書 すべては自己責任③(完) (つづき)消えてゆく姿として現われて消えてしまい、光り輝いてしまえば、祖先が迷っているもへったくれもありませんよ。みんな輝いてしまいます。それで、一人出家すれば九族救われる、というのです。出家ということは、悟るという意味なんですよ。いわゆる... 2016年7月31日(日) 著書
著書 すべては自己責任② (つづき)私は皆さんの苦しみを背負います。皆さんが苦しんでいる、悩んでいる。一緒に苦しんで悩んでいるように見えるけれども、私は苦しんでいませんよ。心はいつも澄んでいる。心はいつも明るい。それと同じように、自分が苦しんでいることは、自分の業な... 2016年7月30日(土) 著書
著書 すべては自己責任① 問祖先の因縁で自分が苦しむということはあるのでしょうか。答祖先が悪いことをして、それで子孫の自分が苦しむとは何事だ、私は祖先なんか知らん、という人もあるでしょうね。祖先の因縁で自分が苦しんでいる、という言い方が少しおかしいからね。祖先の因縁... 2016年7月29日(金) 著書
著書 無名は天地の始めなり⑤(完) (つづき)そして、どちらも之を玄という。つまり、霊妙不可思議なる、あらゆる能力を含んだ実在、即ち神そのものであり、神の現われである、というのであります。その玄と老子がいっている、霊妙不可思議なる存在は、どこまでも深く、どこまでも広く、無限大... 2016年7月28日(木) 著書
著書 無名は天地の始めなり④ (つづき)この無名が、何々という名前をつけてきますと、これは無名ではなく、神そのものではなく、神の現われとしての存在となってくるのです。そして、霊的な微妙な波動としての存在から、次第に粗い波動の存在、つまり、物質的な現われに変化してくるので... 2016年7月27日(水) 著書
著書 無名は天地の始めなり③ (つづき)『無名は天地の始なり。有名は万物の母なり。』無名というのは、宇宙万物を創りなす根源の力、相対的な何もの何ごとも現れ出でぬ以前の、すべての働きの根源の創造力そのもののことであります。それは、相対に現われぬ根源の力であり、絶対なる生み... 2016年7月26日(火) 著書
著書 無名は天地の始めなり② (つづき)また名にしても同じことで、何の誰某という名がつけば、その名の範疇でしか、生命が働かなくなってしまうものです。人間というものは、そんな窮屈なものではない、何もの何ごとにも把われぬ存在であって、いささかでも把われがあれば、真の道は隠さ... 2016年7月25日(月) 著書
著書 無名は天地の始めなり① (前略)『道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。無名は天地の始なり。有名は万物の母なり。故に常無以って其の妙を観んと欲し、常有以って其の徼(きょう)を観んと欲す。この両者は、同出にして名を異(こと)にす。同じく之を... 2016年7月24日(日) 著書
著書 人間とは生命である (前略)人間とは肉体の固まりではありません。肉体を動かしている生命のことをいうのです。そしてその生命は二つの面、即ち精神と肉体というように、一応違った働き方をするのであります。精神と一口にいいますが、この精神にも霊性そのものとして働いている... 2016年7月23日(土) 著書
著書 短所を長所に変える祈り (前略)私は若い時に、ものすごい短気だったのですよ。そのうちに、神に、「わが生命を使ってください、人類のためにお使いください」と投げ出したら、短気も損気もいつの間にか無くなってしまった。短気は何に変わったかといったら、気が早くなった。同じよ... 2016年7月22日(金) 著書