スポンサーリンク

精神生活と物質生活の調和⑦

(つづき)

物質波動の無限性を現実化するために

唯物論者が物質の面で権力を握り、宗教者が精神面の鍵を握っているというのが、現代までの状態ですが、唯物論者が物質の実験を握っているようでは、とても世界の平和は出来ません。

なぜかといいますと、唯物論者の考える物質というものは、お互いがある限定された数しかないのでありまして、自分の富を増やそうとすれば、人の富から奪い取らねばなりません。(中略)

ところが唯心論者、宗教者の考えからすれば、物質は限定された数だけあるのではないのです。物質はすべて神から与えられるものであって、その人、その国、その民族に必要なだけを神は与えておられるのです。

すべては神から与えられているのだ、という考えの上に立たなければ、自分で自分の富を限定し、自国の富を限定してしまいます。そこで富を奪い合い、権力の座を奪い合うことになってくるのであります。

神のみ心から生まれてくる物質は無限なのであります。神のみ心、神の法則をはっきりと科学的に知ることが出来れば、大気の中にある元素の和合によって、さまざまな食料や物質をつくり上げることも可能になり得るのです。

真実の宗教者は、みずからはその原理を科学的には知らないでいて、おのずと科学的原理に沿った生き方をしているのであります。キリストがわずかなパンを何千という数にして人々に与えた、という話など、宇宙子科学の原理から考えれば、事実のことであったろうとうなずけるのです。

その道を進まないでいて、そんなことはできはしない、と片付けてしまう人々ほど、非科学的な人はないのです。すべての科学の成功は、でき得ないと思われること、わかり得ないと思っていることを、でき得る可能性、わかり得る可能性ありとして、その研究にまい進した結果に他ならないのであります。(つづく)

五井昌久著『光明をつかむ』より