(前略)赦しというのは悪を赦すのではなく、その犯した人が悔い改める心を起こした時に、その人はすでに良心の光に目覚めた人なので、その悪は消えてゆく姿となるんです。
そこで、「あなたの罪はもうないんですよ。あなたが悔い改めの心を起こした時に、あなたの過去の悪は消えていったのですよ」と、悪そのものを赦すのではなく、悔い改めた、新しく生まれ変わったその人を赦すのです。
悔い改めとは、自己を裸にしたことですから、罪はもうないんです。
ですから常に、真っ裸の自分をさらけ出し、出てくる悪はすべて消して、清い、善いものを、どんどんつぎ込むことです。
一遍には清くはなれないものですから、そうなるためには、数多くの練習が必要になってくるのです。
罪の観念をつけたままの人を赦すのと、すでに内の光(良心)を出して、罪を消している人を赦すのとでは、まるっきり正反対になるのです。(後略)
五井昌久著『生命光り輝け-五井昌久講話集1』より