(つづき)行者は何を見たかというと、恋愛してる「あの人に会いたいな」というのばかり見ちゃった(笑)。しかしそれは、消えてゆく姿なんです。
私はいつの間にか、「有り難いな」で上のほうに行っちゃったんです。そういうもんですよ。
そうかと思えば人相見に、「あなたは何をやってもダメだ」と言われた。「何をやっても成功することはない」と言われた。
その人が今の私に会ったらなんて言うかしら。「ああ、大凶が大吉に変じた」なんて言うかしら。それなら見てもらわなくたっておんなじでしょ。
だから私は、「いろんな占者や姓名学に見てもらったりすることはない」と言うの。そんなのわかりゃしないんだから。
みんなが業因縁を超えればいい、三界を超えればいいんだからね。三界を超えさえすれば、みんな悟るんです。
占いで見えるのは、因縁の世界。それが無くなれば、思いもかけないことになるんですよ。
ですから皆さんが、たとえば行者になんと言われようと、姓名学でなんて言われようと、どんな人になんて言われようと、自分は世界平和の祈りの中に入っていれば、みんな因縁の波が消えちゃうんだから、みんな外れてしまいます。
悪いことは全部外れちゃうんですよ。だからもう怖がりもしないで、恐れもしないで、不平不満も言わないで、不満足があったらみんな消えてゆく姿にして、世界平和の祈り一本に入ってゆけば、誰も彼も救われる。
誰も彼も、生きていながら菩薩様になり、死んでゆけば神界にゆくと、こういうことになるんです。
そういうもんなんですよ。だから安心して、世界平和の祈りさえやっていればいい、ということになるんです。
(おわり)
五井昌久著『講話集〈5〉いい時に生まれた (講話集 5)』より