(つづき)その役行者が、「いくら鍛えたってそんな鍛えは枝葉のことだ。一番素晴らしいのは全託なんだ。ただ全託といってもなかなか出来ないだろうから、世界平和の祈りのような、大きな目的を持った中に自分が入ってゆき、想いを常に常に入れていれば、知らない間に全託になってしまうんだよ。それが一番やさしい解脱する方法なんだよ」と教えてくれているんです。
私はいつもこればっかり言うけれどさ、自分の肉体に力があると思ったら間違いです。
肉体はそれ自身では力がないんです。
いかに神さまのみ心の力、能力を、自分の肉体を通して現わし得るか、ということです。
どれだけ神さまが使い良いような肉体になるかということが問題です。
神さまが使い良いような肉体になれば、その人はしめたもの。
100%使い良いようになれば、それは覚者、仏です。
だから、「どうか神さま、自分の肉体が使いよいようになりますように」、つまり「わが天命を完うせしめたまえ」というわけです。
そうすると自然に神さまが、「ういやつじゃ」っていうんで、スーッと光を流してくれる。(つづく)
五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より