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人を蔑み見る信仰心になっていないか?(前半)

(前略)”いい人”と、自分で思い込んでいる人がある。「自分は生まれてこの方、悪いことをしたことがない」という人がいます。「私はいい人間なんだ、仏さまも拝むし、神さまも拝む、いい人間なんだ。それなのに、うちの嫁はなんという人だろう。お膳もろくに片付けない、年中外へ出てばかりいる……」、こういう姑はたくさんいます。

自分だけ偉くて、自分だけ信仰深くて、自分だけいいんです。そして他の人は、みんな自分より偉くないように思っています。こういう人はずいぶんいます。

これはとんでもないことです。肉体の自分というものがいいと思っている想い、悪いことをしたことがないと思っている想いは、もうすでに悪いのです。

高慢の一番始末におえない想いなんです。

こういう想いを持っていると、どうしても相対的にものを見る。(中略)

自分が一番いいと思っているんだから、他人ひとが悪く見えてしょうがないのです。他人が悪く見えて、他人にいちいち小言を言うような、その心がもう高慢でだめなのです。

人間はみんな平等なんです。生命において平等なんだから、肉体の人間が相手の肉体の人間に小言を言えるわけがない。

姑さんだから、お母さんだからといって、嫁さんや娘さんに文句を言えるわけがないのです。

文句を言うのは、神さまのみ心において、神さまが言わなければならない。

神さまが言わない以上は、人間が文句を言えた義理じゃないのです。

自分だって悪いんだから……。

それを自分が一番いいと思っている。(つづく)

五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より