(つづき)「それは心で感じ、心で教えるのでしょうか?」
「今、あなたは体をもって、私と向かい合っているけれど、それはあなたの心がしているのであって、心のおもむくところにあなたの体があるのです」
「心から五井先生とお呼びしたときは、必ず五井先生のおそばに行けるものでしょうか?」
「必ずそうなる。姿を顕わして教え導く場合もある。天空から私の声が聞こえ、さとすこともある。また姿や声が聞こえなくとも、心の中から見守られていることが実感として湧きあがってくることもある。また何も感じなくとも自然法爾に心が澄んでくる場合もある。どれも本心の開かれに応じて顕われてゆくものです」
「五井先生と世界平和の祈りはどう考えたらよろしいでしょうか?」
「五井先生と世界平和の祈りは表裏一体のもの。心にピッタリくるほうをとればよい」
「有り難うございます」
あとは愚鈍な身にもわかるように、よくお教え下さった先生のご慈愛が、心の奥にしみ通ってゆき、たとえようもない感激となって自分に帰ってくるのを、Hさんは感ずるのであった。
その時、大きな柏手の響きを一瞬、意識したものの、あとは個我意識が消えてしまった。(後略)
五井昌久著『私の霊界通信 (第5巻)』より