(つづき)だから、「あそこで修行しました」なんて偉そうなことを言ってくる人もありますが、子供のような、赤ん坊のような修行をして何を言ってるかと、私は思うんです。
それほど修行がいるわけなんです。
ところが皆さんもやっぱり過去世においては、大変な修行をして来てるんですよ。
だから今は全託行だけでいい。
過去世からの修行の最後の磨きをかけるための全託行になって、すべて神さまのみ心に投げ出せる、ということになるわけなんです。(中略)
今は神さまのみ心に、「世界人類が平和でありますように」と、すべてを投げ出してしまう。
「世界人類が平和でありますように」というときにはもう、自分というものは世界人類の平和の中に入っている。
世界人類の平和というものは、神さまのみ心なんだから、神さまのみ心の中に入っているわけなのです。
”消えてゆく姿で世界平和の祈り”というのはそこなんだ。
「自分も無い、人も無い、すべて無いんだ。みんな消えてゆく姿なんだ。あるものは、神さまの平和のみ心だけなんだ。世界人類が平和でありますように」って、入ってゆくんですよ。
それが全託なのです。
変に修行したい人があるんですよ。
しかし、したきゃあしたってかまわない。
ただ、そんなものは何にもならない、ということなんです。(つづく)
五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より