スポンサーリンク

我は光なりと想うことです

(前略)神さまは光なんです。いくら闇が濃くても、ぶつかって来れば来るほど、業のほうは早く消えちゃうんです。それだけ早く世界平和が出来るから、いくらでもぶつかっていらっしゃい、という気持ちなんです。

皆さん方でいえば、どんな貧乏が来ようと、どんな病気が来ようと、どんな不幸のようなことが来ようと、来れば来るほど早く消えてゆくんです。自分の光が射してゆくんだからね。

光のほうへ業が寄ってくれば、早く消えるんだから、どんな貧乏が来ようと、どんな病気が来ようと、そんなものはこわくない。それは消えてゆく姿なんですよ。

私は年中、朝から夜中から、24時間プラスアルファーそれをやっているんです。消してゆくほうなんです。

光の進軍なんです。私が動けば光が動く。そうすると闇は消えてゆくんですよ。そういう世界に生きているわけです。

皆さんもそうなんです。個人個人、光なんだから、光の波に乗っていつも歩いていればいい。「ああ、我は光なり」と思ったっていい。「ああ、光の子なんだ」と思ってもいい。

「ああ、自分が歩いている時は、神様の光が流れているんだなァー」と思ってもいい。「ああ有難いな、神さまありがとうございます。世界人類が平和でありますように」と自然に世界平和の祈りが出てくるように、自分が光になっていなければだめなんです。(後略)

五井昌久著『不動の心-五井昌久講話集5』より