スポンサーリンク

業の現われへの対処法④

(つづき)今までの宗教や修養というと、必ずその人の悪いところをつかまえるのです。あなた短気だから短気を直さなければならない。お前は妬みが多いから妬みを直さなければならない。お前は意気地がないからそれではだめだ。とこうやるわけですよね。

そうやることは、その人に悪いことを認めさせてしまう。

ああ、自分は短気でだめなんだ、自分は妬みがあってだめなんだ、自分は気が弱くてだめだ、というように、自分が小さな小さな業の人間になっちゃうわけです。

そうではない。あなたは神の子なんだ、生命は光り輝いているんだ。あなたは出せばどんな力でも出るんだよ。あなたがやればどんなことでも出来るんだよ。ただし神さまにつながらなければだめだから、神さまの中へつながんなさい。神さまというのはどういうことになっているかというと、守護霊守護神としてある。祖先の悟った人が守護霊としてついている。その上、神さまそのものである守護神がついていて、二つが協力して、分霊の自分にいい仕事をさせようと思って、神さまのみ心を現わさせようと思って、一生懸命働いているのだから、その守護霊守護神につながりなさい。つながる方法はどういうことかというと、世界平和の祈りですよ、と教えているわけですね。

だから、口でとやかくうるさく言ったってだめなんです。また業をはいであげるようにしなければだめですね。

業を押しこむ小言はだめですね。業を押しこむとはどういうことかというと、自分の方がこれを教えてやろうといって、対等に生命が流れてゆくのではなくて、高みに立って、自分の業の心で、威張りたい心で、それではだめじゃないか、と言ったって、業と業とのぶつかり合いですから、喧嘩になって、「何言ってやんだい、うちのおやじは」とか、「何だあの野郎生意気に」というように思うだけで、業を押しこんでしまうんですね。そういうことはだめなんですね。(つづく)

五井昌久著『責めてはいけません-聖ヶ丘講話』より