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自己都合による判断を卒業しよう(前半)

(前略)本当にばかばかしいことは、自分の子供でも、夫婦でも、親類縁者でも、人間というのはいつもいつも、この世の肉体の現象の自分に、都合の悪い人はみんな恨んじゃう、自分に都合悪い人はみんな嫌いになるんです。

そうじゃないですか?皆さんも(笑)。

よくあるんですよ、「先生、この人はどういう人でしょう」と、名刺などもってくる。それで私が観ると、悪い人なんですね。悪い人なんだけれども、その人(相談者)には都合がいい人なんです。

それで私は、「この人は一般的から見ればとても悪い人で、いろんな悪いこともしてますよ。しかしあなたにとっては、この人は都合のいい人ですよ」と教えるんです。そうじゃないと間違えますからね。(中略)

因縁の合う人はとてもいいんですが、因縁が合わなくなりゃ悪い人になるんですね。なぜかというと、因縁が業想念の結び合わせだからです。

ところがそれを超えちゃって、神さまの世界に入って、自分が光体になっちゃっていると、肉体に仮に現われるだけです。自分が光だということはわかっていながら、わざわざ肉体に現われて、菩薩行をしているような人は、誰をも悪く見ないです。

どんな悪い人を見ても「ああ、あれは悪いな、しかしあれは消えてゆく姿だな」というふうに、あっさり見ちゃうんですよ。(中略)
(つづく)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より