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真の科学的態度をもって生きる(前半)

夫(そ)れ唯(ただ)病(へい)を病(や)む。是(これ)を以(もっ)て病(へい)あらず

『夫れ唯病を病む。是を以て病あらず』というように、そのような欠点に対して、常にその欠点に対して気を病んで、反省してそういう態度がなくなるように、自己欺瞞(ぎまん)の想いがなくなるように、気をつけていれば、そういう欠点は、知らないうちになくなってゆくのだ、というのであります。

自己欺瞞ということ、本心を瞞(くら)ますということほど、大きな病はないのでありまして、すべての不幸や災難は、本心の隠蔽というところからはじまるのです。

知ったかぶりなどは何でもなさそうに思えますが、知らないことを知ったように見せようとしたり、聞かせようとしたりするのはまだよいのですが、自分自身が知らないことを、知っているように思い込んでしまったりすることが一番危険なのであります。

よくよく自分たちの想いを顧(かえり)みまして、つきつめてみますと、実はほんの少ししか知っていないことなのに、自分ではあたかも、その全貌を知ってしまっているように思い違いをしていることがよくあります。

ですから、それに気づいたら、躊躇なく、自分は今まで、そのことについてよく知っているように思っていたが、実はあまり知っていないことに気がついた。というように、真実の自分の気持ちをすぐ人に話して、自分の気持ちを、知っている範囲の立場に立て直すことが大事なのであります。

この世のことも、人間のことも、あまりよく知っていないのが現在の人々なのですが、一般の人々は、この世のこと、人間のことを知っているような態度で生活しています。知っていることは、ほんのわずかなことで、この世のことも人間のことも、わからないことだらけなのです。

一般の人々が知っていることというのは、男性と女性が結婚することによって、赤ん坊が生まれる、赤ん坊は次第に生長して大人になってゆく、大人になれば、人類の一員として、社会の一員として、社会国家や人類との連携において、一家を支えてゆく、というようなことであって、あと、たいして深いことは知っていません。(つづく)

五井昌久著『老子講義』より