人間は本心において、神のみ心と一つのものなのです。
神道的にいえば、本心本体のことを直霊、あるいは直毘(なおび)というのであります。
ところが地球界の人間は直霊の働きが直接働いているわけではなく、分霊魂魄(こんぱく)として、肉体という物質界で働いているわけで、直霊の場と肉体の場とは、波動的にみて、大きな距(へだた)りがあるのです。
直霊のような微妙極まりない光明波動と、肉体のような遅鈍(ちどん)な波動とでは、なかなか直線的に一本になり得ないので、その間に霊界という波動界、幽界という波動界が自ずと生まれ出て、個人的には、霊体、幽体という体をまとって生活するということになったのでありまして、肉体頭脳の表面に浮かび出ている意識を顕在意識と呼び、幽体と霊体の一部分に潜んでいる意識を潜在意識と呼び、霊体の上部と神体にある意識を神霊意識、または神のみ心というのであります。(つづく)
五井昌久著『光明をつかむ』より