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感情の純化と”空”(前半)

空(くう)になる教えを
一番やさしく説くために、
私がここ(肉体界)に
出てきたわけです。
(中略)

今までは肉体を主にした
文化というものが栄え、
肉体のことばかり思ったほうが
どんどん栄えてきた。
そして、魂的なことばかり
やっていたほうがどんどん滅びてきた。

それが逆になって、
中間に平らになってくるんです。
(中略)

肉体と霊との調和によって
この世界が出来るんだ、
ということが証明される
時が今来たんです。

そうなるんです。
そうなるにしても、
空にならなきゃダメなんです。
空にならなきゃそれにならない。

だからやっぱり、一番の問題は
空になることなんです。
いくら時代が進んでもです。

私に神さまが来て、
説いていることは、
空になることというのは、
”消えてゆく姿をやっているうちに
空になるんだ”という教えなんです。
(中略)

この世の中が本当によくなるために、
一番邪魔になるものは何か、
それは人間の感情です。

好きだ嫌いだ、
嫌だ、欲しい、妬ましい
などという想いです。
これは邪魔なんです。

邪魔なんだけど、
これがなかったら
世の中が成り立たないんです。

難しいんですよ。
なきゃ困るし、
あっちゃ邪魔なんですから。

そこで”感情の純化”といって、
感情が浄まってくる
ということが必要なわけです。

それにはどうするかというと、
いっぺん今ある感情というもの、
自分の感情、ここに起こる感情、
あるいは考える力、思考力、思慮分別、
そういうものを
一度なくさなきゃならない。
空にしなきゃならない。

そこでまた空が出てくるんです。
それではどうしたら
空になるかというと、
この感情、この考える力、
あるいは憎いとか恨めしいとか
思う想い、そういうものは、
本心、仏さまの心、神さまの心とは
違うんだということを、
ハッキリ認識しなければダメなんです。
(中略)

人間というものは、
みんな仏さまなんです。
一人一人そうなんです。

誰も仏さまでない者はいません。
言い換えれば、神の子なんですね。
(つづく)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より