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消えてゆく姿がなくなれば世界は平和になる(前半)

(前略)たとえば痛い想い、
「痛い!
あ、これは消えてゆく姿だな、
なんだかわかんないけど、
過去世のことが消えたんだな」

人に悪口を言われる。
「ああ、これが消えてゆく姿なんだな、
何か過去世において、
あの人に悪くしたのが
返ってきたんだな、
ああ、これは消えてゆく姿だな」

そういうふうに
簡単に思えばいいんです。

思ったと同時に、
「あの人の天命が
完うされますように、
世界人類が平和でありますように」
というように、
祈り心に代えてしまえば、
そうすりゃ
消えてゆく姿は成就するわけで、
消えてゆく姿は消えてしまって、
実在の愛の姿、調和の姿が
そこに現れてくるわけですよ。

だからあんまり
難しがることはありません。

よく、「難しい、難しい」
と言う人がいるけれど、
やらないから難しいので、
やれば難しくありませんですよ。

一歩一歩やる。

いっぺんに悟ろう、
いっぺんに永遠の生命の姿を
出そうと思うから難しいんで、
一歩一歩やってゆけば、
やがて長い間の体験として、
本当に消えてゆく姿が
わかってくるわけです。

一朝一夕では
なかなかわかりませんですね。

たとえば、
形あるものはみんな壊れてしまう。
変化変滅して、やがて
消えてしまうということはわかる。

しかし、もっと奥深い
消えてゆく姿はなかなかわからない。

わからないから
難しいかっていうと、
難しくない。(つづく)

五井昌久著『永遠のいのち―本当の自分に出合う 聖ケ丘講話 (聖ヶ丘講話)』より